[Seminar] The First Class of Hasegawa’s Seminar was held and carefully read “International Conflict” Chapter 2 (10th April 2012)



2012年度法政大学法学部国際政治学科
長谷川祐弘ゼミナール

■ 日 時 : 2012年4月10日(火)
■ 場 所 : 法政大学市ヶ谷キャンパス 富士見坂校舎 310教室
■ 作成者 : 加藤 舞  法政大学法学部政治学科3年

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<4限目>
■ 内 容 : 研究スキル向上プログラム
■ 発表者 : 吉田 翔悟 (授業班)  法政大学法学部国際政治学科3年
中仙道 舞 (授業班)  法政大学法学部国際政治学科3年
内田 真衣 (授業班)  法政大学法学部国際政治学科2年

1. 文献の精読方法・レジュメの作成方法
文献の読み方として、第一に拾い読みから精読に段階を移す方法がある。章単位で一度拾い読みをし、その章の大まかな流れを把握してから精読することによって効率化を図ることができる。第二は、初めに結論を読んでしまう方法で、これは筆者の主張を的確に読み取るために有効である。第三は、メモをする癖をつけることである。その時に気になった言葉について余白等を利用しメモをすることで、文献に対する理解が深まる。
レジュメを作成する際には、文献を読み進めながら内容を整理する必要がある。その項目として、その章のテーマ、テーマ内の要点、筆者の主張などが挙げられる。
レジュメが完成したらそれを共有するためにプレゼンを行う。プレゼンはレジュメの作成時に構成を練り、その上で伝えたいことを明確にする必要がある。さらに、姿勢や話し方などの要素も、聴衆から理解を得るためには重要な点である。

2. ノートの取り方・良い質問とは
ノートを取ることは、自ら問いを立てて表現する訓練、講義を自分の物語にする、講義者の人間観察をするという3点から重要である。講義とは全回が体系づけられている訳ではないため、必要な部分を的確に自分のものにするために、ノートを取ることは必須である。さらに、講義者がどのようなプレゼンを行うかを観察することによって、その講義に対しどのようにノートをとるかを考えなければならない。良い聞き手となるためには、事前に目的意識を持つべきである。さらに、あらゆることを疑うことによって、小さな疑問も見逃さないようにするべきである。ノートを取る技法として、全体のアウトラインを書きだすこと、キーワードを書きとめること、復習のために余白を残すことなどが挙げられる。また、記号の使い方やマーカー引き方など、自分のスタイルを確立することも重要である。
良い質問とは、効果的に講義者から回答を得、自分を含む受講者の疑問を解決するものである。質問文を作るためには、聞きたいことをあらかじめ箇条書きにしておくことが必要である。質問文は必要十分を心掛け、余分な話を加えず、的確な日本語で表現するべきである。問題意識を明確にすることは、良い質問を作成する際に不可欠であり、その上で回答者の立場に立って分かりやすい質問を作成する必要がある。その際には講義者の知識の範囲やバックグラウンドを考慮する必要がある。

3. ディスカッションの運営方法
ディスカッションには様々な方法があるが、その中で、ディベート、パネルディスカッション、ロールプレイングについて説明する。
ディベートは、ある議題に対して賛否両方の立場から意見を発表し議論を行う。ディベートにおいては、結論よりも論説が重要視され、いかに相手を納得させるかが鍵である。
パネルディスカッションは、異なる意見を持った討論者を3名以上招集し、公開で討論を行う。その後、会場からの質問を受け付け、討論者と会場の聴衆との間で意見を交換する。
ロールプレイングは、ある議題に対して参加者に役割を割振り、その立場に則って議論を行うものである。そのため個人の意見とは異なる主張がなされることもあるが、利害関係の調整や外交的な思惑を含めて楽しむことができる形式である。
ディスカッションを行う際には、論点を明確にすることが重要である。また、参加者には平等に発言の機会を与えることが必要である。そのためにもタイムキーピングを行う。さらに、状況に応じた発言が求められる。

 

 

<5限目>
■ 内 容 : 文献精読『国際紛争』第2章
■ 発表者 : 寺内 明穂 (平和構築班)  法政大学法学部政治学科3年
石川 美菜子(平和構築班)  法政大学法学部国際政治学科2年

1. 紛争に至る3つの分析のレベル
3つの分析のレベルとは、個人、国家・社会、国際である。1つ目に個人のレベルであるが、ブッシュ元米大統領を例に挙げると、イラク戦争開戦に至った背景には石油問題など、アメリカの利益を損なう可能性も存在した。実際に戦争を開始してみると、大量破壊兵器は発見できなかった。このことから、個人レベルでは、紛争は個人の人間性や資質などが原因で引き起こされることがわかる。しかし、個人の力だけで紛争を起こすことはできない。そこで、個人の上に位置付けられるのが国家・社会のレベルである。ブッシュ元米大統領も一人では行動を起こすことができず、ネオコンやマスコミの動向が彼を後押ししたと言える。国を超える国際的なレベルにおいて紛争の原因を考察すると、紛争を事前に止めるシステムが不在だったことから、世界の無政府状態が挙げられる。世界政府の樹立は現状では困難であるため、紛争を事前に防ぐには、国家間のバランスの安定を図ることが重要になる。
3つの分析のレベルにはそれぞれ弱点があるが、相互補完の末に開戦に至ったと言うことができる。

2. ナポレオン戦争前後の西欧秩序の変化
ナポレオン戦争は西欧社会に深淵な変化をもたらした出来事である。オーストリアの宰相メッテルニヒとその僚友たちは1815年のウィーン会議開催によって、ナポレオン戦争以前の旧秩序を回復したとされている。しかし、ナポレオン戦争では多数の国家が互いに破壊をし合ったのであり、「回復」と言うよりは新たな秩序が生成されたと考える方が自然である。
ナポレオン戦争以前の国際政治秩序は、偶発的な勢力均衡主義であった。1713年のユトレヒト条約は、イギリスが、フランスとスペインの合併を阻止するためのものであり、balance of powerを初めて明示した条約でもある。欧州での領土的な勢力均衡は、フランスとスペインの合併を阻止することで維持できたが、紛争の制御装置は欠如していた。
次にナポレオン戦争以前の外交について考察する。14~15世紀のヴェネツィアは大商業国家であり、隣国の情勢に対する緻密な調査に取り組んでいた。それに基づき巧みな交渉を行ったことで、ヴェネツィアは体系的な外交システムの構築に成功した。その後中部イタリアにヴェネツィアの外交術の有用性が伝わり、近代外交システムが完成され、大使館の設置、外交官の派遣、外務省の設立などがなされるに至った。当時の外交官に求められたことは、陰謀や共謀等の策略であり、英国王ジョージI世から派遣されたヘンリー・ウォットンは、大使とは「自国のために外国で嘘をつくために送られた誠実な人間である」と表現している。この言葉からも明確なように、外交においては、自国の利益を得るために手段を選ばないということが当時の外交思想の主流であった。
ナポレオン戦争以前の和平合意は、戦争を終結させることと、戦勝国間での戦利品の分担が主な目的であった。戦利品の分担についてはbalance of powerの考え方に基づき、一国が戦利品として領土を獲得した場合は、他の大国も領土を得て均衡を図ろうとすべきだと考えららえていた。この様な体制のなかでナポレオン戦争が勃発した。この戦争において、各国は隣国との協力体制を構築しない限りフランスに勝利できないとの危機感を持った。戦後メッテルニヒはウィーンで会議を開いた。本来は平和の回復のために行われる和平合意であるが、その時にはすでに平和は獲得されていた。つまり参加諸国は、それぞれの利益は異なるにしろ、既存の条約を完結させ確認するための共同作業を行うために集まったのである。このことから、単に戦争を終結させるための条約締結ではなく、将来の紛争を予防しようとする意図が分かる。さらにメッテルニヒは、一国が領土を獲得した場合に、他の大国も代償を得ようとすることはbalance of powerの考え方には相応しくないとし、そもそも領土的に勢力均衡を保つということ自体定義が曖昧だとした。彼は、定義の曖昧さがナポレオン戦争を引き起こしたと考察し、領土、資源および人口を、大陸間で出来る限り公正に調節する考え方を提唱した。
1815年の四国同盟は、諸大国がその利益について協議するため、あるいは諸国の繁栄、さらにヨーロッパの平和維持のために、最も有益だと思われる外相会議の開催を定めた。この同盟では、自国の繁栄のみならず、地域的な繁栄を目指すことが明記された。外相会議を通じ、balance of powerを監視するシステムが構築されたのである。
ナポレオン戦争以前は偶発的な勢力均衡主義であったが、ウィーン体制を経て、計略的な勢力均衡主義に変化した。外交の目的が自国の利益だけでなく、ヨーロッパの平和維持を含むようになり、紛争後の会議では単なる和平合意に加え、紛争予防システムの構築が目的になった。