[Diplomacy] Comprehensive Foreign Policy and Diplomacy – theory and practice (Professor Hasegawa) (April 17th 2012)



2012年度法政大学法学部
「外交総合講座」

■ テーマ : 「外交分析の理論」
■ 講 師 : 長谷川 祐弘 教授  法政大学法学部教授
■ 日 時 : 2012年 4月17日(金曜日)  13:30~15:00
■ 場 所 : 法政大学市ヶ谷キャンパス 外堀校舎 407教室
■ 作成者 : 横田 晃平  法政大学法学部国際政治学科2年
       石川 美菜子  法政大学法学部国際政治学科2年

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<Ⅰ.講義概要>

1. 国と国家
主権というものは、日本において、昔は天皇にあり、民は従属者であった。現代は国民に主権在任という形になっている。権力を行使して住民を支配し、他国に国家として承認されていることが国家の条件である。例えば、領土がなく、主権国家のように重んじられているような国もある。国連の監視下にバチカン市国があるが、各国に大使館をおいて、各国との関係を結んでいる。では、住民を支配するとはどういうことか。国は国民を兵隊として徴兵することもできる。国とは要素を持った共同体である。

2. 外交方法と外交政策の違い
(1) 一極体制
ローマ帝国は一極体制(帝国体制、覇権)と呼ばれる政治体制であったが、大きな力を持ち秩序を保っているローマ帝国の崩壊のあとバラバラになってしまった。一番初めにローマ帝国に対して対決的な態度をとったのがイギリスである。

(2) 中世
中世に入るとリシュリューは他国に派遣してお互いの関係を保つ方法をとり、カリエールは外交交渉のマニュアルを作った。自国の任務の処理と情報の収集、他人の意図を見破る。そして国家の理性を獲得する。

(3) 近代
近代には新外交が発達し、派遣するだけでなく、現地に大使館を作り現地の情報を集めるようになった。

(4) 19世紀・20世紀
19世紀、20世紀になると欧州の主要国がお互いに意思疎通して、グループになって秩序を保って行く。力のバランスを保つことが主な目的である。

(5) イデオロギー
19世紀後半になると、イデオロギーが入ってくる。それはideaのことである。一番大切なことは、イデオロギーを用いて社会を変えていこうということである。18世紀にフランス革命が起こった。これは君主を打倒し、自由と平等を主張していくものであった。マキャヴェリは弱肉強食の時代であり、国家は真理などを守るはずもなく、自国のために利益を追求すると言っており、ホッブズも賛成している。君主がいない場合、生存闘争、生存競争して争っていては、いつまでたっても安定というものは発生しない。

3. 国際社会
(1) 国際社会
国際社会において国の上に立つ者はいない。問題は争いが起こった時にだれが止めるか。君主は国民の自由を制限するために何でもできるが、ルソーは君主の主権を人民の主権に移行するべきだと主張した。社会というものは、国家が成立するために、社会とそのメンバーである民との契約であるとも主張した。自然のもとに人間に与えられている権利を奪うことができない。しかし、国家間ではその契約を結ぶことは難しい。グロティウスは、君主は自己愛により己の欲望を満たすために、民を道具として使っているという。例えば、戦前の日本は政府が国民を兵隊として海外に送り出す。日本の大帝国をもっと大きくしていこうとした。

(2) カール・シュミット
カール・シュミットは人間の本質を、ホッブズと同じように見ていたが、さらに同族意識を持っていると言う。同一価値を持った集団が形成されると、異なる価値観を持った集団と対決する傾向がある。国家、部族、宗教団体など対決が激化するなら敵か味方か判断する。

4. 人間の本性
モーゲンンソーは、政治は人間の生活を根底にしており、利益とは外交と政治と文化により形成されるという。国家には普遍的な道徳などは存在しない。異国の願望普遍的な道徳観と同一させない政治的な現実主義者は国家が区別しなければならない。

5. ウィルソン
新外交として1917年にウィルソンンが十四か条の原則を発表した。第一条には秘密外交の廃止を提示し、第五条には植民地問題の解決として民族自決を提示したが、戦後、アフリカなどの国を味方につけようと国の取り合いが始まってしまった。第八条には、ドイツが奪ったフランス領のアルザス・ロレーヌの返還を要求している。

6. 外交分析の理論
外交分析の理論には、現実主義、自由主義、構築主義とあるが、イデオロギーの交差が起こった場合、安全保障のジレンマの要素が入ってくる。イデオロギーの時代になり、外交というものがどのように行われるようになったか、外交をどのように行うべきか、について考えてえていく必要がある。外交の様々な交渉において、内部の事情を理解することは非常に重要である。

7. 日本の戦前外交
満州事変、日中戦争、第二次世界大戦への道にはいくつもの分かれ道が存在していた。日本が戦争へと向かった原因には、単なる軍部の暴走ではなく、外交において繰り返された過ちがある。日本の孤立を決定的にしたのは国際連盟からの脱退である。日本が中国への支配を拡大していた中、1931年9月18日に起こった満州事変は、日本の国際社会における関係を決定的にした大事件であった。日本が中国へ支配を拡大するのには国益を増やすことや、ソ連の南下に対抗するという理由があった。

(1) 二重外交
1930年以降、日本は国家としての基本的な戦略がないため、小手先の秒策に走ってしまった。また、民意を反映した結果、首相が次々と代わるなどして内閣は急進力を失い、軍部や各組織はばらばらに各自の政策や外交を進めていった。結果として、情報共有が出来なくなり、軍と外務省に別の外交方針が存在する二重外交が生じた。外交分裂が起こった原因は、外交政策をまとめて各組織に伝える政党内閣が弱体化し、統一した方針で従わせることができなくなってしまったためである。このような状況の中で、防共外交は迷走してしまった。結果、イギリスは、日本の防共外交は世界を分裂させる恐れがあるとして応じず、日本はドイツ側に付くことになった。

(2) ヘンリー・キッシンジャー
キッシンジャー曰く、ここでバランスオブパワーが崩れそうになった要因は二つある。一つ目は、ドイツと日本である。ドイツは第一次世界大戦で作られた枠組みに対して不満を持ち、ドイツの威厳を取り戻そうとした。また、日本は西洋と同じような列強大国になり、日本の支配の下に、アジアに共栄圏を作ろうという願望があった。二つ目は、イデオロギーの台頭である。フランス革命においてルソーの下、それまで続いていた君主制度は人民によって崩壊された。しかし、そのような自由は資本主義者が自分たちの権力を保とうとして、労働者を搾取する事態が起こる。そのため、資本主義者を打倒しようとする体制が出てきた。キッシンジャーは集団の安全保障やSelf-determination(自決権)をあまり重要視しない。

8. 現実主義と新現実主義
(1) 現実主義
現実主義(リアリズム)は、人間の社会そして世界は自然状態で、国家は人間の支配力と富への欲望があり、国家の上に立つ物はない。また国家の安全を保つためにバランスオブパワーが機能する。現実主義は、世界を自分たちが見た世界観、すなわち主観的な世界を頂点とする。

(2) 新現実主義
新現実主義(ネオリアリズム)は、国際関係を国際システムの理論で説明しようとした。現実主義に対して、新現実主義は客観的な世界である。

9. 世界システム
(1) ケネス・ウォルツ
ウォルツ曰く、人間社会における強い国は三つの力をもっている。一つ目は軍事力、二つ目に経済力、三つ目には技術力である。秩序構成原理として、主権国家を越える権力は存在しないアナキーであるが、機能分化として、自国の安全を自分の力で確保するには全ての国家が同じ機能を持っている。国際関係というものは構造的なシステムである。二極システムと多極システムがあるが、多極システムは危険で、無政府な秩序のシステムは不安定である。すなわち、安定的なシステムというのはバランスがとれる状態になっている場合である。

(2) ジョージ・モデルスキー
世界システムの変化の過程を、過去5千年調べてみたところ、World system evolutionが起こっており、15世紀以降にはポルトガル、オランダ、イギリス、アメリカなどの超大国が覇権国であった。国の力というのは軍事力、経済力、技術力が基本である。なおかつ、意志・威力が必要である。

(3) 世界的な枠組み
構造主義(コンストラクティヴィズム)の時代に入り、国と国が無政府状態を乗り越えていくために、世界的な枠組みができつつある。その一つが国際連合である。そこで、外交政策の長期ビジョンを持って進めることが重要である。

(4) ロバート・ギルフィン
国際政治における戦争と変動というのを見た場合において、覇権国は自国に優位な国際秩序を形成する。しかし、維持するために費用を払う必要がある。

(5) 比較的勢力と絶対的勢力
比較的勢力、絶対的勢力を見た場合、日本では武器を使わずに安全を保つことが可能であるが、アフガニスタンではあらゆる物を持っていても安全を保つことができないという相対的な勢力がある。

(本文終了)

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<II.質疑応答>

1. 日本の戦前外交の映像からの質問
Q1. 現実主義者は正しかったか
A1. 日本は長期的な戦略は無く、各組織が独自に動いていたので目先の行動をしていた。そのため、現実的に国益を全く考えていなかった。
A2. 日本の中で軍と外務省の意見を一つにできなかった。軍側の意見であるドイツ側に付くことになり、結果として敗戦したわけだが、外務省の考えでイギリスと一緒になっていた場合、どうなっていたのかは分からない。

Q2. なぜイギリスと一緒にはならなかったのか
A1. 共産主義と民主主義というイデオロギーの対立のときに、二極化が起こり安全保障のジレンマに陥る、という悪い場面に予見した。