[Diplomacy] 2011年10月12日 日本の安全保障外交の変遷と展望



2011年度法政大学法学部
「外交総合講座」
■テーマ: 日本の安全保障外交
「ウェストファリア体制の下での現実主義的な防衛外交からの脱却は可能か」
■講師 : 長谷川 祐弘 教授 法政大学法学部国際政治学科教授
■日時 : 2011年10月12日(水)  13:30~15:00
■場所 : 法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎307教室
■作成者: 光達 由菜 法政大学法学部国際政治学科3年
      山本 純哉 法政大学法学部国際政治学科3年

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<Ⅰ. 講義概要>
1. 安全保障に関する概念の変遷
本日はまずは軍事力に基づく日本の防衛外交政策を取り上げる。まず、安全保障の概念の変遷として以下4つを挙げる。それは、「伝統的な二国間の安全保障」、「集団安全保障」、全保障」、「均衡安全保障」、そして「人間の安全保障」を含む「外交総合安全保障」である。まず、初期の「伝統的な安全保障」についてである。これは伝統的な国家の安全保障概念であり、ウェストファリア体制下において軍事的な意味での国家の平和と独立あるいは国家間の関係の中で捉えられてきたものである。では、国家の安全保障の意義とは何か。国家の安全保障の意義は実に多義的なものとなってきているが、主に軍事的脅威から国家の平穏を図る本来の意味で用いられる。そして、この意味での安全保障条約は必然的に軍事同盟としての色彩を帯びることとなる。そもそも軍事同盟とは、歴史上過去から種々の形態によりなされ、条約によって締結されたものも存在する。一般的に、他国への侵略が国際法ないしは外交上明らかに問題とされるようになった第二次大戦以降には「安全保障」という用語や概念を用いて実質的な軍事同盟が形成される例が多い。国家が一国として自国の安全を図ることができるのであれば、安全保障のための条約を他国と結ぶ必要はないと言える反面、一国では自国の安全を必ずしも確保できない国々との間で安全保障条約を結ぶことが想定されたことから、いわゆる冷戦期、主要国は安全保障条約によって他国と結びつき、それぞれの陣営を形成することとなった。例として、米国の当時大統領であったウィルソンは「そのようなアプローチは世界の安定と安全を満たさない。安全保障に関する条約を結ばなくても反撃して自国を守る自信がある」と主張した。一方、現在の中国は「100年前は日本などから侵略を受けたが、今はもう大丈夫だ。安全保障条約といっても、そもそも他の国は信用できない」と考えであろう。
次に、安全保障と防衛との関係である。現代では理論上、安全保障と防衛は厳密に区別される。安全保障とは「脅威が及ばないようにすることで安全な状態を保障・安全を確保する」ことを目的とし、予防的な概念を持っているのに対し、防衛は「及んできた脅威に対抗し、何らかの強制力によってそれを排除する」ことを目的としている。

今日では人間の安全保障をはじめとして非国家的・非軍事的な概念が派生しており、その概念は時代によって変化し、また文脈や使用者、学派、価値観によってもその意味が異なることがある。このため、正確に安全保障という概念を捉える上で使用には注意を要する。

2. 伝統的安全保障
伝統的安全保障とは国家の領土や政治的独立、外部からの脅威を軍事的手段による牽制によって守ることを主眼においた、最も基本的な安全保障の概念である。今日においても軍事力を用いて国家の生存と独立、国民の財産と安全を保障することは極めて重要な国家の役割の一つとされている。

3. 二国間同盟による安全保障
国家の安全保障を保障してくれる国と軍事条約を結び、一国が攻撃されたり脅威にさらされたりした場合に、同盟国として軍事行動をとっても守ることを意味する。その例としては、1950~80年の「中ソ友好同盟相互援助条約」、1951年の「日米安全保障条約(旧安保)」や1960年の「日米安全保障条約(新安保)」等がある。「日米安全保障条約」に関しては、1950年に日本が米国からの占領から主権を取り戻し、1960年に合衆国と締結したが、これは相互安全保障条約ではなく、米国が日本を守る義務を負っただけで米国には何の利益ももたらさないものであった。

4. 集団安全保障
集団安全保障とは、国家連合において軍事力の行使を原則禁止し、またその原則に違反して武力行使に至った国家に対しては構成国が連合して軍事的な手段も含む集団制裁をかける安全保障の概念である。つまり、国際連合メンバーへの侵略は他のメンバーへの侵略と同意となり、集団で制裁を加えるということである。
(1)多国間安全保障条約には1949年に加盟各国や世界の平和・安全を守ることを標榜したNATO(北太西洋条約機構)や1955~91年のWTO(ワルシャワ条約機構)等がある。しかし、WTOはソ連の崩壊により崩壊してしまった。
(2)集団安全保障条約とは、戦争回避が共有の利益であるとの認識に基づいて、敵とも協力して戦争回避を目指す概念が根底にある。

          

5. 総合安全保障概念
(1)均衡安全保障外交とは国家間のバランスオブパワーを保つことで自国の安全を保とうとするものである。例えばベトナムは領土問題で揉めている中、中国とインドという二つの大国の間でバランス外交を行っている。また、日本は米国と密接な関係を築くことで自国のバランスを保っているが、世界の変化に伴ってそのバランスが変化する可能性も存在する。安部前総理は台頭する中国に対するバランスを保つためにオーストラリアやインドとの協力を行った。
(2)総合安全保障は脅威に対する手段を軍事的なものに限らず、また国内や自然の脅威も対象にするなどあらゆる脅威を対象としている概念である。
(3)人間の安全保障はその主体を国家でなく人間に置き、国家は人間を守る責任があるとするものである。サミュエル・ハンチントンはこれからの紛争は国家の衝突でなく文明の衝突になるという唯一論的な主張を行ったが、一方でアマルティア・センは、世界は排他的でなく、互いに越境するアイデンティティの複数性を持ちえる中で新たな脅威へ団結して闘っていくべきだと主張し、人間の安全保障にはそのために国家を団結させていく力があるとした。

6. 日米安保・防衛協力の現状と課題
防衛省放映研究所上席研究官の吉崎知典が提供してくれた資料によると、中国や北朝鮮の軍事力増強で日本の安全保障環境は厳しくなってきている。このような状況で日本は日米同盟を安全保障の基盤としている。米国は日本を守るための全ての支援を行っていくとしている。今回の地震や原発事故に対する支援がその例である。それに対して日本は、日米防衛協力に関して、米国から支援を受けるだけではなく国際平和協力支援を行っていくとしている。この支援はウェストファリア体制の二国間関係から離れた国際関係ではないかという議論もあるが、米国の指示を受けて日本が支援を行うため、二国間であるともいえる。日米は、今後も相互協力を行っていけるように、国民の要望に応え
つつ、日米同盟の新たな枠組みを作っていくつもりである。

7.国際軍事情勢
(1)北朝鮮のミサイルは日本を破壊する能力を持っており、また日本や米国、韓国の介入を避けるために核開発の分野においてイランとの協力を行っている。また北朝鮮以外にも周辺の安全保障が脅かされている地域が存在し、南沙諸島・尖閣諸島・竹島などは安全保障のホットスポットとなっている。
(2)中国の国防白書には自国の平和的発展やグローバル問題への意識が明記されている。中でもグローバル問題への意識は日本と変わらず、日本と同様の問題意識を共有しているといえる。また国防白書からは中国の国防費の増加が読み取れる。日本の国防費はGDPの5%に抑えられている。かつては米国の半分ほどの額に達していたが現在は三分の一程度である。一方で中国の国防費は年々増加を続け、現在は日本の1.5倍の額に達している。

8. 防衛力のあり方
(1)日本の防衛力は国防・自然災害・国際協力などの分野で使用される。防衛に関して現在問題となっているのは沖縄に駐留する米軍撤退である。現実主義者は米軍の駐留を戦略的な必要性や、米軍の覇権維持という外部の観点から議論するが、民主主義国家においては国民という国家の内部から政策の変更を迫られるため、内部の観点も必要である。たとえば、アメリカは国民の反戦運動から、ベトナム戦争でのベトナムからの撤退を余儀なくされた。
(2)普天間の基地移設問題でアメリカは鳩山政権時に米国は日本国民の意思を尊重していく姿勢であることを表明した。現在は長期化する普天間問題に対し、決着をつけることを日本側は求めている。それに対し野田首相は普天間を辺野古に移す意思であることを表明し、同時にアメリカへ拉致問題の協力を要請した。
(3)孫子の言葉に「敵を知り己を知らば、百戦して危うからず」という言葉がある。米国が何を望み、日本が何を望んでいるかを考えていく必要がある。