【国際機構論】2009年6月23日(火) 長谷川祐弘法政大学教授

2009年度法政大学法学部
「国際機構論」

■テーマ : 国際連合と加盟国の変遷
■講 師 : 長谷川 祐弘  法政大学教授
■日 時 : 2009年6月23日(水) 13:30~15:00
■場 所 : 法政大学市ヶ谷キャンパス 富士見校舎 309教室
■作成者 : 溝口 習 法政大学法学部国際政治学科3年

****************************************
<Ⅰ.講義概要>

1.国際連盟はなぜ崩壊したのか
(1)一番の大きな理由はアメリカの不参加にある。アメリカでは、大統領が国際条約に署名しても、国内の上院で承認されなければ条約の効力が発揮されない。この問題についての最近の例としては、副大統領アル・ゴア氏が調印した京都議定書がある。京都議定書も上院で承認されなかったために、アメリカは不参加となっている。
(2)二番目の理由として、日本とドイツなど、数多くの国が連盟を脱退したことがあげられる。連盟がリットン調査団を満州に派遣し、日本の満州における行動を侵略行為であると報告したことで、日本は脱退した。同様に、ドイツもポーランド、オランダ、ベルギー等に侵攻し、連盟から非難を受けたことで脱退した。同様に、イタリアも1937年に脱退した。ソビエト連邦は日本、ドイツが脱退した後の1934年に加盟したが、フィンランドに侵攻し、連盟から除名処分となった。この結果、主要国で連盟に残ったのは、イギリスとフランスだけになり、脆弱な国際機関となってしまった。

2.国際連合への加盟
(1)1945年、創設当時の加盟国は51カ国であった。加盟の条件として、第一に国連の通常予算を賄うための分担金の支払がある。日本は3年前に19.5%負担し、現在16.6%まで削減されたが、いまだ非常に大きな貢献をしている。第二に、安全保障理事会の勧告と総会の承認がある。ある国家を支配している政府を決定する際には、代表権問題など様々な問題が生じる。
(2)1946年にアフガニスタン、アイルランド、スウェーデン、タイ、パキスタン、イエメン、ミャンマー、イスラエル、1950年にはインドネシアなどアジアの新独立国が加盟した。
(3)1950~55年の間に朝鮮戦争が発生し、イスラエルとアラブ諸国の対立が表面化した。ヨーロッパ諸国の東西対立は定着し、スペイン、イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランド、が加盟し、アジアではカンボジア、ラオス、スリランカ、ネパールが加盟した。
(4)日本は1951年まで5年間のアメリカによる占領の後、独立を回復し国連への加盟に向けて活動した。1951年にはアメリカと講和条約を結び、「日本は国際連合への加盟を申請し、国連憲章の原則を順守する」ことを誓い、当時10カ国あった安全保障理事会常任理事国のうち、9カ国から加盟の承認を得た。しかし、ソ連からの反対を受け、加盟が認められなかった。その5年後、日ソ共同宣言を結び、1956年12月18日にソ連の承認を受けて、国連の80カ国目の加盟国となった。
(5)日本の加盟後から、1971年までの間にアフリカ・アジア諸国の独立が進むと同時に国連への加盟も進み、1973年には、東西ドイツが別々に加盟した。
(6)1990年代に入ると太平洋やカリブの諸島にある、非常に小さな国々も加盟し、加盟国数は150を超えた。1989年には東西冷戦を象徴する「ベルリンの壁」が崩壊して冷戦が終結し、1991年には韓国、北朝鮮が加盟した。その後に続いて18のCIS諸国が加盟し、加盟国総数は184カ国まで増えた。
(7)1994年から2002年までの期間には8カ国が加盟した。その中でも国連にとって最も重要な意味をもつものは、ウェストファリア体制の時代から約400年間どこの同盟にも属さなかった、「永世中立国スイス」の加盟である。
(8)現在、国連の加盟国総数は192カ国である。

3.中国の代表権問題
(1)1949年11月15日、周恩来首相が当時の国連事務総長のTrygve Lie氏に対して、中国共産党が中国を支配すると宣言した。また、国連総会議長であったCarlos Romulo氏に対して、書簡で、中国共産党が設立した政府が中国を代表すると述べ、当時国連で中国を代表していた蒋介石政権は亡命政権であり、中国を代表する権利を持たないと主張した。
(2)しかし、1949年にはすでに冷戦が始まっており、西洋の自由民主主義国家グループ、特にアメリカは、西洋の民主主義に挑戦し、侵略する意図を抱いていると中国共産党政権を国際連合に入ることを認めず、当時同盟を組んでいた国民党政権を支援していくべきであると考え、「国府代表を総会から排除し、中国共産党政府代表を総会に出席させるいかなる提案の審議も延期する」という内容の「棚上げ案」を1950年から約10年間にわたり採択した。
(3)1960年以降はアジア・アフリカの旧植民地諸国が続々と加盟し、アメリカの案に反対する国が増えてきた。また、中国共産党の重要性を主張する国が現れ、アメリカのコントロールが利かない時代になってきた。このような事態に対処して、米国は、中国共産党を抑え込む「棚上げ案」の代替案として、「重要事項化」を採用した。問題を「重要事項」にすることで、過半数の賛成を得るだけで中国共産党政権を抑えられるようになった。
(4)しかし、1970年には、北京政府を加盟させ、台北政府を追放するという「アルバニア案」が台頭し、過半数を獲得した。アメリカは、米台相互防衛条約の堅持、国連における台北の議席の支持を表明した。
(5)1971年10月25日、「国際連合における中華人民共和国の合法的権利の回復」を指す「アルバニア決議案」が賛成76、反対35、棄権17、欠席3で採択され、北京政府の中国代表兼が認められた。そして台湾政府は国連のいかなる機関にも所属することができなくなった。
(6)近年、新型インフルエンザの流行に伴い、WHOが台湾をオブザーバーとして受け入れるなど、中国が台湾を容認する方向に転換してきている。

4.国際連合が存続している理由
(1)国際社会の形態とニーズが変化し、新しい基準と規範が現れ、通商・貿易の拡大、技術革新などのグローバル化の加速により進み、国際社会が秩序ある運営がより重要になってきている。この状況下において、国際連合が国際社会の唯一のガバナンス機関として成長してきているのである。