2008年12月19日
報告者:法政大学大学院
修士一年 池田麻美
平和構築と人権
「カンボジア特別法廷の挑戦」
場所 東京大学駒場キャンパス
日時 2008年12月19日(金曜日)
主催 ヒューマンライツ・ナウ/東京大学「人間の安全保障」プログラム
後援 カンボジア市民フォーラム
総合司会
佐藤安信(東京大学教授)
コーディネーター
東澤 靖(弁護士:ヒューマンライツ・ナウ理事)
パネリスト
熊岡 路矢(カンボジア市民フォーラム・東京大学客員教授)
野口 元郎(カンボジア特別法廷上級審判事)
山本 晋平(弁護士:ヒューマンライツ・ナウ)
ディスカッサント
長谷川 祐弘(法政大学教授)
I 基調講演:報告者野口元郎
カンボジア特別法廷上級審判事
「カンボジア特別法廷の経過と現状」
➢現在の課題と見通し
1997年にカンボジア政府からKR時代に行われた重大犯罪を処罰するための特別法廷設置に関する国連の協力を要請する書簡が出された。その後数年間にわたるカンボジア政府と国連の交渉を経て、最終的に2006年の5月にカンボジア側と国際側の裁判官、検察官が任命され、2006年7月に検察官が捜査を開始して特別法廷が始動した。それから2年半立っているが一審の裁判も始まっていない。2006年7月の第一回裁判官会議の際に内部規則、すなわち訴訟手続きの細則を決める作業が開始された。基本的にカンボジアの刑事訴訟手続きにのっとるが、特別法廷に固有の手続きを要する部分や国際標準と合致しない部分などについて、内部規則として定めて関係者に分かりやすくするために内部規則を制定することにしたもので、これは2007年の6月に採択された。その後、検察官が5名の被疑者を立件送致した。これら5名の被疑者は2007年11月までに逮捕勾留された。その後5名は勾留に対する裁判前の異議申し立てを行ったが、4名については棄却され、1名は取り下げた。2008年8月にデユックに対する捜査が終結したが、検察官が異議申し立てを行い、12月05日にPre Trial Chamberが決定を行っている。2009年3月位にデユックの一審での公判が開始される予定。
2006年から2007年という2年半の間に起こったことを振り返ると、まず、約1年けて内部規則が採択された。次に5名の被疑者に対し立件送致、逮捕勾留がなされ、そのうちの一件について起訴された。この進展状況を遅いとみるかどうかは見解が分かれるかもしれないが、他の国際刑事裁判所やハイブリッド裁判所と比べると少なくとも5名の身柄拘束については速やかに行われたと言える。旧ユーゴの法廷などでは、中には数年立っても逮捕できないものもある。私は上級審の裁判官であるためまだプノンペンに赴任していないが、司法官会議、司法行政委員会、規則委員会の会議に出席するためプノンペンに頻繁に出張している。二審にはまだ事件が一つも継続していない。
➢特別法廷の特色:混合法廷との比較として何が特徴か。
1: カンボジアの国内法廷として設立され、国連を含む国際社会が支援している点が特徴的である。ECCCではカンボジア人の裁判官が多数を占める。いずれの裁判部においても外国人判事は少数であり、この点がICTY、 ICTR、ICC、シエラレオネなど他の国際刑事裁判所、混合裁判所と異なる。
2: 検察官と捜査判事についてはカンボジアと国連側が1名ずつ出し、共同検察官、共同捜査判事という構造をとっている。彼らの間で合意ができない場合は、Pre Trial Chamberにかかるという複雑な構造。捜査判事は、日本の戦前の予審判事に近い。裁判官であるが中立的な立場から捜査をする。逮捕勾留は捜査判事が行う。
3: 被害者の裁判手続きへの参加。日本の刑事裁判でも進められているが、カンボジアの刑事訴訟法では被害者はCivil Party(民事当事者)として刑事訴訟手続きに参加できる。これを受けて内部規則において被害者は当事者として参加できることとしたが、金銭損害賠償請求権は認めず、道徳的且つ集団的なものに限ることとした。現在のカンボジアでは遺族を含めると潜在的にはカンボジア国民の大半がなんらかの意味でKR時代の被害者であり、あまりに多くの人が刑事裁判に参加した上金銭損害賠償を求めると法廷の処理能力を超えてしまうおそれがある。また、被告人に資力が無かった場合、これに代わる金銭的ファンドがないのも理由の一つである。このようなことを考慮して、金銭的なものを含まない損害賠償請求権とした。ECCCは国内法廷として成立したが、国連が関与しているので、国際標準を遵守することが同時に求められている。特別法廷が被害者参加と限定的な損害賠償請求権を認めていることは、1993年以降の国際刑事司法の流れの中でも非常にユニークな試みである。
➢裁判の課題:高齢化とDue Process of Law・被害者の訴訟参加
1: 高齢化とDue Process of Law
本裁判は30年以上立ってから始められている。従って被疑者、被害者、証人が高齢になっている。被疑者の年齢は一番高くて83歳。被疑者の平均年齢は70歳台であり、体調がよくないと訴えている人もいる。被害者、証人も高齢化している。時間との戦いと言う面が明らかである。他方、ただ急げばよいというわけではない。国際標準に基づくDue Process of Lawに則り、被疑者、被告人の人権を尊重した手続きを踏むという要請がある。
被害者の訴訟参加は、最大の特色であるが、同時に国際刑事裁判で過去に例のない試みであり、実際にどのように機能するのか、やってみなければ分からない点もある。ICCには被害者が限定的に参加できる手続きがあるが、被害者参加はFull Statusではないし、まだ一審が始まったものはなく、前例として参考になるものはまだ出てきていない。特別法廷の場合、Complainant(告訴人)、Civil Partyの地位にapplyしてきた人はこれまでに2000人以上いる。デユックの事件については30前後のCivil Partyが認められている。残りの事件、つまりカンボジアの全国土にまたがるCase 2でも30前後のCivil Partyがこれまでに認可されている。Civil Partyは証拠を提出したり、法廷で尋問したり、検察官や被告人に対して反論し書面を提出する権利などが認められている。既にCivil Partyについて何人かの弁護人がついている。被害者参加の問題は、これを最大限に意味あるものとする一方で、迅速な裁判と被告人の権利の保護という要請も同時に満たさなければいけないことが課題である。
2: 言語の問題:クメール語、英語、フランス語
大変な手間、時間、費用を要する問題で、国際(混合)法廷につきものの課題だが、本日は時間の関係で触れない。
3: 予算の問題:当初$56millionだったが底をつきつつある。国連とカンボジアで補正予算案を策定したところ、2010年まで裁判がかかるとしてさらに6000万ドル以上が必要となる見込み。主として国際社会からの任意拠出に頼らなければならない。予算危機のため職員の離職率が高いことも課題である。
4: Legacy:刑事裁判の本質である、正義の事件、不処罰の文化の撲滅のみならず、Legacyすなわちカンボジア国民に対してこの裁判が何を残せるのかがECCC課題の一つである。Capacity Buildingという司法関係者の能力の向上、将来のカンボジアの司法制度にとってのModel Court 機能、一般の国民の信頼を強化することが課題である。Reconciliation という国民和解、融和にどのくらい寄与できるか。裁判を通じて認定された事実が歴史教育にどのような機能をもちうるか、また、情報の共有といった面も課題である。
課題山積であるが、法廷がうまくいっていないとは感じていない。2009年には第一審が始まる。立ち上げ期が終わり、実際に裁判がはじまりつつある。
II パネルディスカッション
1. 熊岡氏:Impunityの文化への終止符となるか。:国際社会が作り出した問題(超大国や大国の責任)をどう裁判のなかに取り込むか。
KRはそれほど大きな政治的勢力ではなかった。しかし、最終的には政権をとった。それには、国際的な背景、冷戦・「ベトナム戦争」の背景、中国またタイがバックアップしていた。
暴力とImpunity(罰せられるべき罪と加害者が罰せられないこと)の文化へ終止符をうち、法の支配へと近づけていくことに意義がある。
罰せられる人は非常に少ない上に高齢化した。ECCCの枠組みとしてはKRのTop Leader
を裁く。1991年の和平協定は、国際紛争としてのカンボジア紛争から、諸外国を免責していくプロセス、という指摘が、今川元大使などからある。ECCCは国際的背景を背負えない枠組みを背負っているのではないか。(殺した側と家族を殺された側が同じ村で生活している現実がある。)被害者とその家族からは重要な課題であるが、実際に手を下した者の責任を問い裁くことは難しい。下手人全体を裁くFull Scaleでの裁判は、物理的にも不可能である。手を下した者の多くは10台前半の少年少女であった。これら加害の年少者も大きく観れば政治体制の被害者でもある。裁判の対象は象徴的な意味をふくめ、トップ・リーダーに限るのは止むを得ない。現在進行形でもある、暴力とImpunity の文化に終止符を打つという意味合いと期待がある。
ポルポトの死(1998年)、タモック逮捕(1999年)までは、カンボジア人の多くは、平和を実感できなかった。90年代後半では、KR裁判自体に、まだまだ不安が残っていた。儀式のような側面もあるが、ECCCのプロセスが遂行されることで、平和を完成する意味。
現フンセン政権は長期の開発独裁政権となっている。一定の経済復興と権威主義的体制が平行している。法の支配ではなく、「強者」の支配という状況の下、農民などの土地が、政治家・軍人・有力者の手によって、強制的に収用され、外国企業に売り払われている。司法の独立もないなかで、紛争は暴力と有力者に有利な裁定で、押さえ込まれている。繰り返しになるが、ECCCは、今の時代でも進行するImpunityの文化を払拭する意味を担っている。
先述の通り、90年代には、裁判を幅広く行うと再びカンボジア社会が分裂するのでないかという恐れもあった。しかし、KR政権崩壊から、30年を経た今ようやく国内での分裂を心配しない形で裁判が見守られている。
2. 山本氏―HRNの立場から:政治と法(平和と司法)の関係、被害者参加の意義
カンボジアの国民和解で果たしうる役割
司法官とは裁判官、検察官、Pre Trial Chamberの判事を含む概念で、フランス法的な呼び方。その司法官たちの会議で、内部規則が制定されたという話が野口判事からあった。
その中で被害者参加も認められたわけだが、これは、もともとカンボジアの国内刑事手続で被害者参加が認められていることや、国際的な流れとしても、旧ユーゴ、ルワンダの国際法廷は被害者から遠かったのではないかという反省などからICCでは被害者参加が認めるべきであるという意見書をHRNでは作成した。内部規則採択までに一年かかったが、被害者のCivil Partyとしての手続き参加やVictim Unitの設置などHRNが提言した内容が内部規則に盛り込まれた。同様の提言をしたのはHRNだけではないが、HRNの役割も重要だったと思っている。また、その後、沢山の被害者の参加について日本での集団訴訟の実務から論点を挙げて報告書を作成した。
司法と平和:ある面では対立もしくは矛盾する。例えば、イエン・サリの投降は紛争の終結であったが、フンセンは恩赦を行った。実際問題として現在、ECCCの手続の中で、イエン・サリは投降当時の恩赦が今でも有効だから釈放してほしいと主張している。また、イラクでのフセインに対する裁判は平和にプラスだったのか、という問題もある。裁判を行うためには政治的安定がなければ裁判はできないのでないのか。熊岡さんが触れられたように、30年後の裁判になってしまった一つの背景は上記の点にある。
ECCCが、オランダで行うICCやICTYと違うのはカンボジア現地で行っていること。被害者参加は実務的には困難を伴う面もある。たとえば、検察官対被告人という構図に対して被害者が参加してくると困難な面もあるが、広く人権侵害が行われたその場での裁判であるので、平和構築のプロセスに当事者が参加することにそれ以上の意義があると考える。ECCCでの被害者参加は、必ずしも表現の自由がないカンボジアでクメール・ルージュについて語る場ができることにも意義があると言える。
3. 野口判事からのコメント
山本氏の発言の中で触れられた、カンボジアの特別法廷はプノンペンで行われていることが特徴という点は特に重要である。ニュルンベルグと東京は別として、これまでの国際・混合刑事裁判所は直接の関係国で行われたものは少ない。シエラレオネ、東ティモールはカンボジアに近いが、東ティモールの場合、重要被疑者の大半がインドネシア人であって、その大半については逮捕することができなかったといった問題はあった。ECCCの場合は、国連とカンボジア政府の交渉の歴史をみると、国連は、カンボジアの司法制度が脆弱であることなどの理由から、旧ユーゴ特別刑事裁判所のように純粋な国際刑事裁判所として設置したいと考えていたことがうかがわれるが、最終的にはカンボジア政府に押し切られた形で国内法廷としてECCCが始動した。国際裁判として外国人だけで行った方が簡単な面もあるであろうが、ECCCではカンボジア人にイニシアティブを与えている点で、他の国際裁判と異なった意義がある。
4. 長谷川教授-平和と司法制度の関係
第一に、東ティモールでは、3年半の間に50件ほどの裁判が行われた。インドネシアに逃亡した人を除き、殺害行為に関わった100人近くの容疑者が裁かれた。懲役の期間は国連の意向を反映して最高でも20年ほどとなっている。
第二に、Equality of Armsという点が挙げられる。東ティモールでは100人程の検察団のスタッフに対し、弁護団の公的弁護士が初めは4-5名であった。バランスを確保するのに2年程かかってしまった。逆にジャカルタでは弁護団の方が検察官より遙かにスケールが大きいものであった。裁判の公正さを成し遂げるためにはバランスを確保する必要がある。
第三に、コストの面が挙げられたが、UNの司法に関与している方々は確かに裁判を国外で行うことを望んでいるかもしれないが、そこには政治的要素もからんでしまう。ルワンダと旧ユーゴの裁判所を設立した際には、日本や米国も同調して、タンザニアのアルーシャやオランダのハーグに設立されたが、その後進展するのに年月がかかり、なおかつ費用が膨大にかかってしまった。これは財政面において持続可能ではないと判断された。
第四に、期待感(Expectation)という点が挙げられる。裁判は時間との戦いでもあるが、しかし同時に被害者に膨大な期待感を与えないようにする必要があることを見逃してはならない。
第五に、UNには受け皿がないという点が挙げられる。UNには裁判に関し、内容(substance)としての受け皿がないと言わざるをえない。ICCCが設立されたことで、どのように裁判官を集め、どのように裁判を行っていくべきか、方法論を確立する必要性がある。
さて紛争国での裁判では、被害者と加害者の関係を鑑みRestorative JusticeとRetributive Justiceという側面がある。これは、現地のおかれた状況(Context)によるべきである。和解(Reconciliation)を成し遂げるためには真実(Truth)を確立する重要であるので、真実を見届ける重要性が非常に強い。(e.g. 東京裁判の成果と課題)ルワンダは、部族間、旧ユーゴは、民族間、カンボジアは国民同士で紛争がおきた。これに対処するためには、法的側面からでは平和構築はなされない。平和構築を行っていくためには、心理学、人類学を含めヘーゲル(Hegel)の言葉を借りるなら、全体像(Totality)の解明が求められていると言える。すなわち被害者の真実と加害者の真実が同一になることを確保する必要がある。
以上
野口判事
東澤弁護士
山本弁護士
写真右 長谷川教授
写真右 熊岡氏
佐藤教授