【国際機構論】2011年7月5日 グローバルガバナンスにおける国連の役割とは?(元国連事務次長 明石康様)



2011年度法政大学法学部
「国際機構論」

■テーマ : 「グローバルガバナンスにおける国連の役割」
■講 師 : 明石 康 氏 元国連事務次長
■日 時 : 2011年7月5日(火) 13:30~15:00
■場 所 : 法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー26F スカイホール
■作成者 : 増田 幸彦 法政大学法学部国際政治学科2年
        吉田 翔悟 法政大学法学部国際政治学科2年

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<I, 講義概要>
1. 導入
(1)私は、国連とは『生き物』である、と考えている。
(2)国際法学者が行う、国連憲章に基づいて議論する国連とは違う視点で、国連について語りたい。

2.“International Organization”としての「国際機構論」
(1)「国際機構論」を英語で表すと2つの訳し方がある。一つは、International Organizations。この様に、複数形にして訳すと、色んな国際機構について個別に話すことになる。
(2)しかし、私が尊敬している“Inis Claude Jr.”が書いた本の題は、International Organizationである。これは、国際機構を個々で見るのではなく、国際社会が組織化していくプロセスについて語っている。
(3)現在の国際社会、国際政治学では、国家やNGO等をはじめとした、様々なアクターの行動について語り、理解することが重要である。

3.日本にとっての貴重な存在 ―“知日家”
(1)私が国連に入ったのは日本が国連に加盟した翌年の2月からで、国連と私の関係は深い。人生の半分である40年も国連と歩んできたので、私は自分自身のことを「在日日本人」と呼んでいる。出来るだけ日本と距離をとって、日本の良さも悪さも両方、理解したいと思っている。
(2)我々はしばしば、外国人を“親日家”と“反日家”に分けることがあるが、私は“親日家”よりもむしろ“知日家”の方が、日本にとって貴重な存在だと思う。日本を、情緒的にも魅入ってしまうほど、やたらに好きな人(親日家)よりも、日本の良いところも悪いところもきちんと見てくれる外国人(知日家)こそ、真の友人と言えるのではないか。

4.国連の2大危機とその分析
(1)1956年秋、世界にとっても国連にとっても2つの危機があった。一つは、スエズ運河をめぐるスエズ危機である。ナセル大統領のスエズ運河国有化に西側諸国、特にイギリス、フランス、イスラエルが反対し、エジプトに侵攻した。その一方で、エジプト侵攻に対し、米ソ、非同盟諸国が反発し、安全保障理事会にかけられたが、イギリス、フランスが拒否権を行使して、安保理が機能マヒに陥った。そこで、非同盟諸国が中心となり、「平和のための結集」決議(Uniting for Peace)によって、緊急特別総会を招集し、そこで「国連緊急軍」が組織される。これにより、平和裡に西側諸国をエジプトから撤退させることに成功した。これらの功績により、当時の国連事務総長ハマーショルドと、国連緊急軍創設を助けたカナダ外相ピアソンが、ノーベル平和賞を受賞した。
(2)スエズ危機においては、国連の活動は成功したが、もう一つの国連の危機である、ソ連のハンガリー武力介入では、失意に終わった。ソ連はハンガリーへの侵攻を続けたため、国連総会は再三、ソ連への非難決議を採択した。しかし、ソ連はそれを無視して介入を続けたため、国連はどうすることも出来なかった。しかも、冷戦下に於いて、米国も欧州諸国も第三次世界大戦の誘発を防ぐため、武力介入するわけにはいかなかった。結局、国連に出来たのは、本件について調査の後、事務総長報告書を国連総会に提出するということだけだった。この報告書作成は、私の最初の仕事だった。
(3)この二つの結果の違いとは、国連加盟国が「その気」になったかどうかと言えよう。スエズ危機では、米ソも非同盟諸国も、カナダのような国も、「平和のための結集」決議に従って対応した。しかし、ハンガリー武力介入の際には、国際政治の力関係の冷厳な事実に、国連は手も足も出なかった。これらの経験は、国連の成功の瞬間と失敗の瞬間の2つの「顔」を如実に表現している。国連の「栄光の側面」だけ見るのは間違いであるし、かといって、“国連は全くの無力である”という悲惨さだけをみる見方も間違っている。

5.東日本大震災に対する、世界各国からの温かい支援
(1)3月11日の大震災から3か月経った。日本国民は、被災者に対する全国的な暖かい人間的な援助を通して、連帯感を表していると思う。
(2)世界中の国々からも、素晴らしい援助や救援の手が差しのべられたことを忘れてはならない。アメリカの“トモダチ作戦”があったが、アジアの国々、中小国からの様々な形での支援も忘れてはならない。スリランカは、インド洋津波の時の日本の支援に対する「恩返し」支援を行った。日本は近年、ODA額が激減しているが、災害時における中小国からの支援というのは、日本ODAに対するソフト面での「配当」ではなかろうか。
(3)金容雲(キム・ヨンウン)という韓国の思想家が指摘しているのは、ヨーロッパのポルトガルに於いて、リスボンの大地震が起こった(1775年)。震災の被害を受けたポルトガルは、世界的な巨大植民地国家だったが、その後弱体化していった。しかし、その震災を受けて、ヨーロッパ諸国ではボルテールやルソーが自然と人間の関係を唱え、カントらが画期的な哲学を発表し、思想的に欧州を大変革した。今回の東日本大震災も同様、国家を超えた援助という新しい形のものだった。歴史は180度変わることはない。グローバルガバナンスは、一足飛びには進まず、あくまでジグザグのコースを進む。国際機構として最大の国連も、グローバルガバナンスを目指している。

6.日本国民の「国連」に対する認識のギャップ
(1)我が国は1956年12月、国連に加盟した。当時の冷戦のために、ソ連に3回も拒否権を行使されてからの加盟と独立回復と言うこともあって、日本国民は国連への加盟を大変喜んだ。
(2)しかし、国際機構としての国連の限界について、日本国民の理解度が充分だったかどうかには、疑問がある。ややバラ色の期待と楽観的な見方が日本人にはあったのではないか。
(3)日本人は国連の成果を評価したが、その一方で、国連の持つ色々な限界もある。国連の主人公とは、国連そのものというより寧ろ、国連各加盟国、その中でも安保理の常任理事国である。常任理事国の拒否権の存在は、平和や安全の問題で中核的な役割を持っている安保理に於いて、安保理の行動をブロックしうる。スエズ事件の時は、「平和のための結集」決議(Uniting for Peace)に基づいて緊急特別総会が開かれたが、総会は、安保理の拘束力のある決定とは違い、道義的、政治的影響力しかない「勧告」を出す権限しか無く、そのことに国連総会のもつ限界が見てとれる。

7.国連事務総長
(1)国連事務総長は国連憲章第97条~99条によって、国際連盟とは異なった、政治的な権限も認められている。しかしながら、いくら第99条に基づいて国際の平和及び安全の維持を脅かす事項について、安保理に対し注意を促すことが出来るとはいっても、安保理がそれを無視すれば、事務総長は泣き寝入りするしかない。
(2)現事務総長である潘基文氏が現職に就く前に、彼と面会した。私は彼に対し、「国連事務総長という仕事はとても大変な仕事で、権限は少ないけれども、それよりも仕事の責任が大きいので、色々とフラストレーションに陥ることが多いポストですよ」と伝えた。又、国連では事務総長のことをSecretary-General、略してSGと呼ぶが、「国連事務総長はSGと呼ばれているが、その本当の意味は『Scape Goat』ですよ」とも伝えた。というのは、国連事務総長は、色んな世界中の戦争や紛争の責任をとらされる、つまりScape Goatにされてしまうことが多いからである。故に、あまり神経がデリケートだと、務まるようなポストでは必ずしもないかもしれない。
(3)国連事務総長には、色々な失望や落胆にも拘わらず、粘り強く目的に向かって邁進し、知恵を出すことが要求されている。誰がやっても、そんなに易しい仕事ではない。総じて、グローバルガバナンスの最先端に立つことは非常に難しいのである。

8.ミレミアム宣言
(1)我々は、国連の掲げる理想を忘れないと同時に、その理想は、一足飛びに実現できるわけではない。やはり、少しずつ実現できるものである。
(2)1945年に国連憲章が採択され、現在は加盟国数が当時の約4倍になった。さらには、21世紀へ突入するということで、2000年に国連特別総会が開かれ、そこで「ミレミアム宣言」が採択された。それには、紛争が起きてからの行動ではなく、「予防措置の必要性」「ポストコンフリクトにおける平和構築の必要性」など、非常に重要で革新的な考えが盛り込まれている。例えば、アフガニスタンにおけるソ連軍の撤退後の平和構築を怠ったため、タリバンやアルカイーダが勢力を伸ばしてしまった。こうした経験に基づいて、平和構築委員会が設立され、国連や国連機関、世銀などの様々なアクターが一体となって、ポストコンフリクトにおける平和構築の実践に取り組んでいる。
(3)「ミレミアム宣言」は、国際社会がグローバルガバナンスに向かって、何をすべきかという目標をかなり明確に定めている。今年の秋には世界人口が70億人を超えるが、ミレニアム宣言では、現時点で世界の最貧層が約10億人存在しているが、その数を2015年までに半分にするなどの目標を掲げている。また、食糧問題や、教育の問題にも取り組んでいる。
(4)国連の力はまだまだ弱いが、こういう目標を具体的に掲げてそれを達成しようということで、政府もNGOもビジネスもメディアも一緒になって努力している。これは、顕著な新しい事実である。

9.武力介入の正当性と日本の立場
(1)イラク戦争の際、ジョージ・ブッシュJr.前米大統領が、サダム・フセイン支配下のイラクに対する武力行使を決めたわけだが、オバマ政権になったアメリカはイラクからの撤退を決めている。しかしながら、イラクに対するアメリカの介入は大変不幸な結果をもたらしたので、これからはアメリカのような超大国であっても勝手なことが出来ないように、国連としては出来るだけその際の武力介入の基準を決めようではないかという雰囲気があった。
(2)今、国際社会の中で主権国家が武力を行使することが許される場合が2つある。1つは、国連憲章第7章に基づく武力制裁である。こういう集団的な制裁措置が、国連憲章第7章に従って行われる場合は、国連として行う武力行使であるので、これは合法である。もう1つは、国連憲章第51条で規定する場合である。これは、ある国に対する武力攻撃が行われた場合、安保理が行動を取るまでの間、被攻撃国は防御的な手段を自ら執ることが出来るというものである。これは51条で言うところの「個別的及び集団的自衛の固有の権利」である。しかしながら、戦争を始める国は大体「自衛のため」と称して戦争を始めており、我が国も1930年代に於いて、アジア諸国と戦争を交えるに当たって、「これは自衛のための戦争だ」と主張している。故に、国連憲章第51条の規定も出来るだけ客観的に、合理的に精密に理解する必要がある。
(3)我が国の場合、戦後日本の特有なあり方から出てきているのだが、日本は個別的自衛権を持っており、これを行使することが出来る、と内閣法制局は考えている。だが一方で、集団的自衛の権利も日本は持っているが、これは今の憲法の下では行使できないというのが、政府の見解である。しかしここ数年、様々な専門家委員会が政府によって作られ、「これはおかしい。個別的自衛権は行使できるのに、集団的自衛権が行使できないというのは、憲法に明記されていないではないか」という意見が出ている。それは、当然のことであると思う。
(4)1992年、カンボジアにおけるポスト冷戦期最大の平和維持活動の責任者をやったが、日本は国連のPKOに参加することは憲法違反ではないと考えて参加を決めた。その時に国会で採択されたのは、国際平和協力法という法律である。ところが、長谷川祐弘教授が東ティモールで国連PKOの指揮をされたわけだが、カンボジアに続いて、東ティモールやコソボに於いては、国連が一時的に、一国家にも相当する大きな権限を行使することが任された。武力の行使についても、PKOに従事している人たちの自衛の範囲をやや踏み出た、任務の遂行の為の武力の行使も許されるはずである、というのが一般的な解釈になってきている。

10.グローバルガバナンスへの課題
(1)国連がグローバルガバナンスを行うに当たって、当面する色々な問題を大別して3つに分類できよう。
(2)1つ目は、経済にまつわる問題である。これに関しては、割と世界中の色々な国が国連機関やGATT、WTOなどの機関を通じて、経済や貿易の問題について、国益に基づきつつもそれを国際的に処理するため、様々な審議を重ねている。
(3)2つ目は、人権を巡る多くの問題ではないかと思う。基本的人権とか、人権規約をどういう風に適用するのか。極端な場合は、今、リビアで国際社会が当面している問題だが、NATOの様な第51条機構がカダフィのような独裁者に対して安保理決議の下に空爆を行使できるのか。カダフィを抑えると言うよりは、リビアの市民を保護するために、国際社会、国連、ないしはNATOのような機構が、実力を行使すべきではないのか。アメリカの場合は、オバマになってから、ブッシュのように勇ましいことは言わず、リビアに対する空爆はアメリカが所属するNATOがやっている。イギリスとフランスがそれを主体となって実行し、アメリカはそれに反対しないという形で距離を置いているが、今のアメリカの政権の姿勢は、オバマになってから、かなり慎重なやり方に変わってきている。国際社会と言っても、国連があり、またEUのような地域機構が強くなってきている。また、NATOは少し変わった機構で、これは冷戦時代の産物であるが、冷戦後でもアフガニスタンその他で中核的な活動をしているわけだが、こういうものの役割はどういう風にあるべきなのか。NATOもリビアの場合、安保理決議に基づいて行動しているのだが、何をやるべきなのか、その限界はどこなのか、という難しい問題を突きつけられている。
(4)最後は、「保護する責任」について言及したい。一つの国の政府が、国民を充分に保護することをしていない場合、また、することが出来ない場合に、その代わりに国連のような国際社会を代表するものがその国に入って国民の生命や安全を助けるべきなのか、そうでないのか。これについては、6年前に国連が世界首脳会議を主催した際に採択された「成果文書」(尤も、「結果文書」ないしは「最終文書」と訳した方がより正確だが)の中に、「保護する責任」について謳っている。ここまで来たのは大きな進歩であるが、これが具体的にどう解釈され、どういう風に現実に適用されるのか。リビアの現実の中でどういうことになるのか、ということを我々は考えていかなければならない。
(5)こういうわけで、グローバルガバナンスは進行中である。また、それを担わされた国連も色々なことをしているが、国連以外の国際機構、地域機構、主権国家、NGO、財界その他ビジネスグループ、人権団体、ボランティアグループなど、様々なものが現在の国際社会を構成しており、大変複雑になっている。問題は多岐に渡っているが、また国際社会で色々な国や人が様々なことを考えたり発言したりしているが、大きな流れを見失わないことこそが、これからの日本にとって非常に大事なことである。

<II, 質疑応答>
1.
Q. 集団的自衛権を行使してしまうと、戦争を冷静に見る国が少なくなる。故に、戦争に加わるのではなく、寧ろ、第三者として戦争を仲介するべきである。また、戦争に加わっても単なるゴマすりにしかならず、費用対効果に見合わないので集団的自衛権を行使すべきではないと考えている。この考えについて、明石氏はどうお考えか。
A.自国を守るということはある意味で国連加盟国としての権利であり義務でもあるが、それには色々な手段を使わなくてはならない。ある程度、軍事力が必要なこともあるかもしれない。中国の軍事力が強くなってきている時に、せめてアメリカとの関係をより密接にし、アメリカの持っている抑止力に頼らないと、個別の国々として対処できないというのもかなり説得力のある話である。そうでないと、核を始め、物騒な兵器を持たなくてはならないという考え方が強くなる危険性がある。他国や他人に頼るのも、不確定要素が出てくると言われればその通りであるが、日本やドイツなど、核兵器を作る技術的・科学的・経済的な力はあるけれども、出来るだけそれを持たずに、それに代わる多角的ないし双務的な安全保障の手段を考えたいという国のあり方も、戦後においては一つの立派なあり方である。その為には国連にもっとしっかりやって欲しい、あるいは地域的にもそういうことをやれる機構が育って欲しいと思うことは自然なことである。今現在、アジアにはNATOのような地域機構はない。日米・日韓・日中・日豪といった、バイラテラルな同盟だけで充分かといえば疑問の余地があろう。

2.
Q. 旧ユーゴスラビア時代、1995年に、マケドニアには、国連史上最初に国連予防展開部隊が配置されたが、最初の部隊の具体的な政策や取り組み、成果などはどうだったのか。
A. 旧ユーゴスラビアの紛争がマケドニアに飛び火しないように、約1, 000名の国連PKOが現地に派遣された。これは立派に役割を果たしたと思う。戦闘が始まる前に、こういうものが派遣されれば、より少ない兵力で戦闘行為を未然に防ぐことが出来るという理論が実行に移された。残念ながら、マケドニアに配備されたPKOは、更新の際、中国が拒否権を行使して、延長できなかった。というのは、マケドニアが中国に対する国家承認を北京政府から台湾政府に移したことで、北京政府の怒りを買い、マケドニアPKO更新を安保理で拒否権により阻止された。
3.
Q. 歴代の事務総長にも個性や人格がその業績に表れていたと認識しているが、明石氏から見て、歴代の事務総長の中で最も素晴らしいと思うのは誰か。又、第8代事務総長である潘基文氏は、明石氏から見てどの様な人格であり、また任期中に彼が最優先で取り組むべき課題は何か。
A.歴代の事務総長で最も素晴らしかったのは第2代のダグ=ハマーショルドで、その次は第6代のブトロス=ガリ、その次は第5代のハビエル・デクエヤルであると思う。デクエヤルは、名前はあまり知られていないが、外交交渉が上手くて、タイミングのセンスが絶妙であった。自分が出るべき時とそうでない時を心得ていた。ガリは構想力や意欲に富んでいたが、結局、アメリカと対立し、アメリカの拒否権で再選が出来なかった。ハマーショルドも、コンゴに関する問題でソ連を怒らせてしまい、1961年に飛行機事故で亡くなったが、事務総長として勇気を持って最後まで努力した。また自分の仕事をちゃんと理論付けているという面でも素晴らしかった。大国が反対する場合、事務総長の出来る仕事は本当に限られてしまう。それでも知恵と勇気を働かせて、やれることをやった人たち、こうした優れたリーダーに国連は恵まれていたと言えよう。現職の潘基文氏もまた、難しい仕事に一生懸命取り組んでいる。

4.
Q. 常任理事国が固定化されていることは非常に問題である。国連はとにかく自分たちで内側から改革しなくてはいけないが、一体どこをどういうふうにしようとしているのか。
A. 常任理事国の制度がもう60数年も続いているので、これがそろそろ時代遅れになっている。特に途上国が国連で強い存在になってきている。また、日本やドイツなどは、常任理事国ではないけれども、国連で財政的な役割を果たし、発言力も強くなった。途上国においてはインドやブラジル、ないしはナイジェリアや南アフリカのような国々を入れるべきではないかという声は高くなってきている。しかし、どの国をどういう形で入れるかというのは至難の業である。インドを入れれば隣国のパキスタンが嫌がるし、ドイツが入るとイタリアが面白くないし、ブラジルが入るとアルゼンチンやメキシコが嫌がるので、中々、決め手が発見できないまま現在に至っている。いずれ日本は、拒否権が無くとも常任理事国になって、日本らしい発言と行動を平和のために示して欲しいと思っているが、中々決め手がない。

5.
Q. 様々な現場で活動している中で、明石氏が大切にしている、心がけていることは何か。
A.大切にしている諺は「運命の女神には前髪しかない」。これはレオナルド・ダ・ヴィンチが言った言葉である。つまり、何かを決定する場合は慎重に、また自分と違う意見の人の話をよく聞いて、熟慮の上で決定すべきであるが、その上で決定したら、躊躇しないでそれを実行に移す。つまり、運命の女神には前髪しかないので、それをつかみ損なったら、スリップしていなくなってしまう。だから、決断する時はきちんと決断し、今の日本みたいにいつも躊躇して何も大事な決定をしないというような形にならないようにすることが大事だ。

6.
Q. 明石氏はコミュニケーションに於いて「人の話を聞く」ということを重点に置いているように思うが、その内容について、相手が心の内を話してくれる様な聞き方をどう工夫し、努力しているのか。
A. 日本はもっと「発言権」を強めなくてはいけないとよく言われているが、その前に、我が国はもっともっとアジアの国々も含めて、他の国の考えていること、感じていることや気にしていることを知らなくてはいけない。自分の言いたいことを言うのは簡単なことだが、相手の気持ちを正確に知るということは容易なことではない。日本における食事の時間は非常に短く、会社の幹部クラスの昼休みの平均は15分しかないといわれるが、国連での昼休みの時間は1時間ないし1時間30分ある。昼休みに相手と時間をたっぷり取って食事をすると、皆リラックスするので、その時に相手が言う一言一言を捉えることがとても重要である。出来れば、夕ご飯を一緒に食べ、お酒も飲むと益々本音が聞けることが多い。そういう時にポロリと出てくる一言がとても重要である。独裁者であっても、そうした瞬間を捉えること、それこそ、前髪を捉えることが大事なので、そういうニュアンスのたくさんある会話を自分と違った立場の人、外国の人とする機会を持つことが日本人は比較的に少ないんじゃないか。だからこそ、発言力も大事だが、相手の言うことをより敏感に正確に聞いて理解することは、もっと大事ではないかと思う。